snow31yukiのブログ

ふと思いついたことについて書きます!たいてい短いかもw

祖父のお葬式に行かなかった話

昨年の夏、祖父が亡くなった。

遠くに住んでいて、認知症も進み介護施設と病院を行ったり来たりして数年。コロナ禍で面会もできず、約5年会えていない中での急な報せだった。

知らされていなかったが数日前にコロナに感染していたらしい。年齢的に身体も弱くなっていただろうから直接関係したかは分からないが、つまりコロナでの死者となる。

コロナ感染して亡くなった人がどうなるか、この時初めて知った。感染の拡大防止のために直接の対面は出来ず、袋に入れられる。そして即日または翌日の火葬。お葬式はお骨の状態で行われる。時間をかけてお別れをすることができない。

 

その日は仕事も落ち着いている時期だったので、のんびりと在宅勤務をしていた。そんな午前中に父から祖父が亡くなった、コロナだという報せが来た。父は単身赴任中であり、祖父がいる隣県にいるので午後には向かうという。一方の私は飛行機か長時間の新幹線で向かうしかない。仕事も忙しくない時期だったので、私もすぐに向かいたかった。でもやはりコロナ禍なのだ。そしてコロナ感染なのだ。遠方から行っても良いものか、、と思ったりして、ひとまずは父の指示を待つことにした。

午後になり父からは翌日に火葬されること、コロナ感染のために直接はご遺体にも会えないことを知らされた。そして葬儀も大々的にはできないし親戚全員が集まることもないから「来なくて大丈夫だよ」と言われた。そう言われたら、まあもうこちらは何もできない。「わかった、頑張れ👍」と返答するしかなかった。父は介護施設に入った祖父に数年会えておらず、最後もご遺体が袋に入っているためちゃんと顔を見ることができなかったらしい。それを聞いて、やっぱり悲しすぎて泣いた。数十年一緒にいた肉親とのお別れがそんな形なんて悲しすぎる。今思い出しても涙が止まらない。

数週間後に分かることだが、その後お葬式に出た祖母や親戚がコロナ感染し、プチクラスターが起きたので、私も参列したら感染していたのかもしれない。

 

そのお葬式から数ヶ月が経つ。ふと初盆の話が出た。するとうちの母親は「来なくて良いと言われたら、行かないよ」と言い出した。基本、義理の両親のことだからそこまで関わるつもりがないのだろう。

ただ私はなんだかとてもショックだった。そして自分の中で祖父のお葬式に出なかったことが心残りとなっていること、後悔となっていることに気づいた。

「来なくて大丈夫」をそのまま取らず、「それでも私は行きたい、お葬式に参列したい」と言えば良かった。ちゃんと、ちゃんと伝えたから良かった。

とそんな気持ちがずっと心の中にあったようだ。

お葬式は故人のためでもあるが、その後も生きていく遺された人達のためという意義も大いにあると思う。仕事などで忙しい日常の中で、やっぱり一番故人に思いを馳せるのはお葬式なんじゃないかと思っている。開く側は段取りなどで忙しいと思うけれど、弔問客から故人の話を聞く時間もあるし。

でも参列しての後悔はないなと思った。最近、同級生の葬儀も参列した際は、自分の中でけじめというか、事実を受け入れる覚悟のようなものを持った。故人に対して最大限、今できることをやったという自己満足かもしれないけれど。

祖父のお葬式に出なかったことで、私は私の中でのけじめをつけられていないようだ。引け目というか、思い出すと胸が痛いというか。お葬式に出たらこう思わなかったのだろうか。祖父に対してやれることはやったという自己満足感が私を助けてくれただろうか?

次の初盆は出たいと、行きたいと伝えてみようか。準備の手伝いとかの戦力にならないかもしれないけど。血を繋いだものとして、何か一つでもできることがないだろうか。今の私は何もできていない。それでは私のけじめもつかない。そんなことを思ううちに、故人のためか自己満足か分からなくなって、混乱して自己嫌悪に陥る。

ただ私は私のこれからのためにどこかで祖父の死を受け入れないといけない。