snow31yukiのブログ

ふと思いついたことについて書きます!たいてい短いかもw

イメージ

最近飛び降りるイメージが頭を占めていて、自分でも怖い。

応援している大事な人が誹謗中傷に晒されている。その名は、名誉は傷つけられてしまった。表立って庇ってくれる人はいない。これからその人はどうなるんだろうか、不安でいっぱいな状況にある。

デジタルタトゥーは一生残り続けるもので本当に怖いと思っているし、書かれた人を死に追いやる力を持っていると思う。証拠もないような事実無根な中傷を書かれて、それでもその名は傷ついてしまった。それは業界内としては「死」を意味するのではないかと思っている自分がいる。

そして最近、「死」や飛び降り自殺に関係するような作品を見てしまったのもあって、もうイメージが頭の中にこびりついて離れないのだ。

飛び降りているのはあの子なのか、自分なのか、その境界も曖昧になりつつある。本当に苦しい。

 

あの子を傷つけて利益を得た人、貶めたことでそのポジションを手に入れる人がいることが許せない。

世界はどうしてこんなにも理不尽なんだろう。

耐えて耐えて頑張った人が、苦しい思いもした人が、栄誉を受けられないばかりか泥を塗られる世界なんて間違ってる。頑張ったならその報酬があって然るべきなのに。どうして、どうしてなのかな。

そんな世界、大っ嫌い。本当に大嫌い。

祖父のお葬式に行かなかった話

昨年の夏、祖父が亡くなった。

遠くに住んでいて、認知症も進み介護施設と病院を行ったり来たりして数年。コロナ禍で面会もできず、約5年会えていない中での急な報せだった。

知らされていなかったが数日前にコロナに感染していたらしい。年齢的に身体も弱くなっていただろうから直接関係したかは分からないが、つまりコロナでの死者となる。

コロナ感染して亡くなった人がどうなるか、この時初めて知った。感染の拡大防止のために直接の対面は出来ず、袋に入れられる。そして即日または翌日の火葬。お葬式はお骨の状態で行われる。時間をかけてお別れをすることができない。

 

その日は仕事も落ち着いている時期だったので、のんびりと在宅勤務をしていた。そんな午前中に父から祖父が亡くなった、コロナだという報せが来た。父は単身赴任中であり、祖父がいる隣県にいるので午後には向かうという。一方の私は飛行機か長時間の新幹線で向かうしかない。仕事も忙しくない時期だったので、私もすぐに向かいたかった。でもやはりコロナ禍なのだ。そしてコロナ感染なのだ。遠方から行っても良いものか、、と思ったりして、ひとまずは父の指示を待つことにした。

午後になり父からは翌日に火葬されること、コロナ感染のために直接はご遺体にも会えないことを知らされた。そして葬儀も大々的にはできないし親戚全員が集まることもないから「来なくて大丈夫だよ」と言われた。そう言われたら、まあもうこちらは何もできない。「わかった、頑張れ👍」と返答するしかなかった。父は介護施設に入った祖父に数年会えておらず、最後もご遺体が袋に入っているためちゃんと顔を見ることができなかったらしい。それを聞いて、やっぱり悲しすぎて泣いた。数十年一緒にいた肉親とのお別れがそんな形なんて悲しすぎる。今思い出しても涙が止まらない。

数週間後に分かることだが、その後お葬式に出た祖母や親戚がコロナ感染し、プチクラスターが起きたので、私も参列したら感染していたのかもしれない。

 

そのお葬式から数ヶ月が経つ。ふと初盆の話が出た。するとうちの母親は「来なくて良いと言われたら、行かないよ」と言い出した。基本、義理の両親のことだからそこまで関わるつもりがないのだろう。

ただ私はなんだかとてもショックだった。そして自分の中で祖父のお葬式に出なかったことが心残りとなっていること、後悔となっていることに気づいた。

「来なくて大丈夫」をそのまま取らず、「それでも私は行きたい、お葬式に参列したい」と言えば良かった。ちゃんと、ちゃんと伝えたから良かった。

とそんな気持ちがずっと心の中にあったようだ。

お葬式は故人のためでもあるが、その後も生きていく遺された人達のためという意義も大いにあると思う。仕事などで忙しい日常の中で、やっぱり一番故人に思いを馳せるのはお葬式なんじゃないかと思っている。開く側は段取りなどで忙しいと思うけれど、弔問客から故人の話を聞く時間もあるし。

でも参列しての後悔はないなと思った。最近、同級生の葬儀も参列した際は、自分の中でけじめというか、事実を受け入れる覚悟のようなものを持った。故人に対して最大限、今できることをやったという自己満足かもしれないけれど。

祖父のお葬式に出なかったことで、私は私の中でのけじめをつけられていないようだ。引け目というか、思い出すと胸が痛いというか。お葬式に出たらこう思わなかったのだろうか。祖父に対してやれることはやったという自己満足感が私を助けてくれただろうか?

次の初盆は出たいと、行きたいと伝えてみようか。準備の手伝いとかの戦力にならないかもしれないけど。血を繋いだものとして、何か一つでもできることがないだろうか。今の私は何もできていない。それでは私のけじめもつかない。そんなことを思ううちに、故人のためか自己満足か分からなくなって、混乱して自己嫌悪に陥る。

ただ私は私のこれからのためにどこかで祖父の死を受け入れないといけない。

推し活で病んだ話(数ヶ月前の話)

ここ数ヶ月推し活で病みを抱えている。

説明すると以下の感じだ。

私は好きな団体で1番の推しがいる。そして他にも2番目に推している人がいる。

推し同士には仲良くいて欲しかったのだ。最近2人が絡むことも多くて、見るのを楽しみにしていた。だが実際自分の目で見ると、血の気が引いた。

2人が仲悪そうにしか見えなかったのだ。隣にいることも多いのに全く目を合わせない。2番目の推しが目を合わせようとしないからだ。

 

始めはすごく悲しかった、1番の推しが何かしてしまったのだろうか?と不安になった。少しして2番目の推しに怒りが湧いてきた。「前から所属しているのは貴方の方だろう。どうして年齢も下の子にそんな態度をとるのだ。そして観に来る人を不安にさせるようなものをなぜ見せるのかと」

 

また私は主にTwitterで情報を集めているが、1番の推しが今日も悲しい思いをしていないか、つらい顔をしていないか心配でTwitterから離れられなくなってしまった。

そして検索をかけて該当する他人のツイートを見つけて再び落ち込む日々。本当に何しているんだろう、私に何が出来るわけでもないのに、と思いつつ離れられなかった。毎日、心がすり減った。

 

自分のメンタルへの危機感をおぼえて、対処法を探した。でもこういった不安を抱く人は少ないのだろうか、あまり参考にならなかった。

やはりこれはSNSから距離を置くしかないのだと悟り、半日ほど離れて少し落ち着いた。半日以上はSNS断ちが保たなかっただけだが。

 

そんな状態が数ヶ月続いている。私の心もだいぶ荒んだし、荒み続けている。マイナスの感情というのは抱き続けるのも疲れるものだ。捨ててしまいたいけれど捨てられない。1番の推しに関係するのだから。

 

最近は2人を見るたびに心の一部が死んでいくように感じる。黒のインクが水に溶け出したように、毒のような気持ちが無くなることはない。過去の映像も見られなくなった。

 

推し活から離れられたらそんな気持ちは消えるのだろうか。今の私は仕事のモチベーションも生きる目的も推し活に置いているのだから、まあすぐには難しいだろう。

 

またエンタメとは一体なんなのだろう。娯楽であるはずのもので、どうして私はこんなに傷つくのだろうとエンタメの意義についても考えた。でも結論として、やはり推しは尊いのである。

 

この状態でも推しと推しに仲良くしてほしいと願い続けるのは、もちろん傲慢だと分かってる。人間関係は個人のものだし、仲良くして欲しい願望はこちらの勝手だ。願いは捨てられない、諦めが悪くて申し訳ない。

 

とっ散らかったが、この経験から自分でも自分の感情の複雑さに驚いた。ここまで怒りの感情を持っても、2番目の推しを嫌いになりきれないのだから。まあ怒ってるけれど、許せないけれど!

 

1番の推しに笑っていてほしい。心から楽しくいてほしい。その障害が無ければいいなと願っている。幸せでいて欲しいなと、遠くからだけど毎日祈ってる。その思いはずっと変わらないし、揺らいでいない。それが自分の中で救いだ。

 

最近のメンタル

おそらく私は病むとここに来る。

でも今は病んでいない。ただ久しぶりにふと書きたくなったのだ。

 

私のメンタルはとても不安定だと自覚している。

薄氷の上を恐々と歩いている、底なし沼の上を綱渡りしていることを自覚していた。

でも最近は学生時代より病むことが減ったという自分の変化があるので考えてみた。

 

高校生までとても抑圧された生活をしていた。

好きなもの、アニメとかを好きと言えない状況だった。言えば「勉強しなさい」としか言われない。だから「好きなものを好き」と言わない、思わないようにしていた。

大学の時は急に現れた自由を持て余しすぎて結局それまでと同じようにビクビクしながら、周りを伺いながら生きていた。

社会人になって少し自分の好きなものに素直になってきたみたいだ。好きなものを好きということに後ろめたさを感じなくなってきた。

たぶん自分の時間をかけて仕事をして、その対価としてお金をもらって、それを使って好きなことに投資をしてるからだろう。

 

あとは仕事をして対価を得て、社会の一員になれているという安心感もある。一番手っ取り早い自己肯定感の取得方法だ。それに私は助けられている。

 

その他にも病まなくなった理由はある。きっと学生時代よりも時間がなくなったのだ。時間がありすぎたからこそ、考えられることもあったのだろうけど、自分について考えることは私にとって「深淵」だったのだ。答えのないメビウスの輪をずっと走ることだったのだ。

その時間を無くしたことと引き換えに、考えすぎなくても「なんとかなる」という思考を手に入れた。一種の諦めだ。まあ、その思考方法にもまだ慣れない。いまだに良く思考の沼には落ちている。

 

でも前よりも少し日常が楽しい。

思い出が思い出せない

友人が「第一印象」と言って話してくれるものを私は話すことができない。覚えていないのだ。

思い出を思い出すことができない。

これは私のコンプレックスの一つだ。

 

最近、それを痛感した出来事がある。

亡くなった友人との思い出も出来事として覚えていても、内容が思い出せなかった。声を思い出そうとした。でも思い出せなかった。もう二度と聞くことはできないのに。

どうしてこんなにも私の頭は忘れてしまうのだろう。

私はいつか親や友人との思い出も思い出せなくなるんだろうか。

 

私は亡くなった人は生きている人の心の中で生かすことができると考えている。でも私はその人たちとの思い出を覚えていられない。思い出せない。

それが申し訳なくて、つらくて、悲しい。

めんどくさがりと寂しさ

私はとても面倒くさがりだ。

少し動けば疲れるから、できる限り家から出たくないし

人間関係が広がるとメンタルにダメージを受ける可能性が高くなるから、友達と遊んだり深く付き合うことはあまりない

 

でも寂しいのだ。

周りの人が友達と楽しそうに話したり、遊びに行ったりしているのを見たり、聞いたりすると、自分は...と思って寂しくなる。

心がざわつく。だから人と関わりたくないんだって思う悪循環。

 

自分の決めた方針なのに揺らいでしまう。私にとっての正解はなんなんだろう。考えて考えて決めたことでも、ことごとく正解とは違う選択肢を選んでいるんじゃないだろうか。

 

ざわざわが止まらない。わからない。

生きづらさに縛られる

私はいつからこの世界で生きづらいと思うようになったんだろう?あまり記憶にないけど、物心ついたときからたぶん辛さは感じてた。

 

今でも覚えてるのは小1、2の時に親に怒られて、自分でも自分を責めた結果、「死んだらいいのではないか?」と思って、包丁を取りに行こうとしたことだ。親に止められ、本気で心配された。

 

私は1人の時、「死にたい」とよく言ってしまう。

昔は「死にたい」=「自殺するほど追い詰められている」だと思っていたので、じゃあどう死んだらいいのかな〜とか考えた時期もあったし、実行にうつしてた時期もあった。

今はまあ口癖だと思ってる。よく「こんなダメな自分は死んだ方がいい」とか思ってるけど、昔よりは深刻さを持ってなくて、そこまで死ぬ方法を考えなくなった。でも、生きたい理由は見つからない。毎日、結構楽しく生きている。優しい親も仲良くしてくれる友人もいる。でも自分の軸がぶれているので、惰性で生きている感が半端ないのだ。

 

そして、辛いことに私は人と関わると「死にたくなる」のだ。自分がうまく立ち回れなかったこと、友人がいろいろできることが羨ましくて、それができない自分も、比較して卑屈になっている自分も嫌で仕方がない。

 

それに些細なことで気分の上げ下げも大きい。注意されての落ち込みっぷりも激しい。今はそれでも回復させられているが、「自分は大丈夫。メンブレしても戻ってこれる」なんて絶対に言えない。数年後、会社で怒られたりうまくいかなかったりで自殺してるかもしれない。

 

日常を生きていくだけで、私は生きづらさを感じている。理由は周りの誰にあるわけでもないし、ただただ私の特性なんだろう。性格の問題かと思って改善も試みたが、なかなかうまくいっていない。この「生きづらさ」やたびたびやってくる「死にたい衝動」と共存できる限りは生きていきたい。