snow31yukiのブログ

ふと思いついたことについて書きます!たいてい短いかもw

推し活で病んだ話(数ヶ月前の話)

ここ数ヶ月推し活で病みを抱えている。

説明すると以下の感じだ。

私は好きな団体で1番の推しがいる。そして他にも2番目に推している人がいる。

推し同士には仲良くいて欲しかったのだ。最近2人が絡むことも多くて、見るのを楽しみにしていた。だが実際自分の目で見ると、血の気が引いた。

2人が仲悪そうにしか見えなかったのだ。隣にいることも多いのに全く目を合わせない。2番目の推しが目を合わせようとしないからだ。

 

始めはすごく悲しかった、1番の推しが何かしてしまったのだろうか?と不安になった。少しして2番目の推しに怒りが湧いてきた。「前から所属しているのは貴方の方だろう。どうして年齢も下の子にそんな態度をとるのだ。そして観に来る人を不安にさせるようなものをなぜ見せるのかと」

 

また私は主にTwitterで情報を集めているが、1番の推しが今日も悲しい思いをしていないか、つらい顔をしていないか心配でTwitterから離れられなくなってしまった。

そして検索をかけて該当する他人のツイートを見つけて再び落ち込む日々。本当に何しているんだろう、私に何が出来るわけでもないのに、と思いつつ離れられなかった。毎日、心がすり減った。

 

自分のメンタルへの危機感をおぼえて、対処法を探した。でもこういった不安を抱く人は少ないのだろうか、あまり参考にならなかった。

やはりこれはSNSから距離を置くしかないのだと悟り、半日ほど離れて少し落ち着いた。半日以上はSNS断ちが保たなかっただけだが。

 

そんな状態が数ヶ月続いている。私の心もだいぶ荒んだし、荒み続けている。マイナスの感情というのは抱き続けるのも疲れるものだ。捨ててしまいたいけれど捨てられない。1番の推しに関係するのだから。

 

最近は2人を見るたびに心の一部が死んでいくように感じる。黒のインクが水に溶け出したように、毒のような気持ちが無くなることはない。過去の映像も見られなくなった。

 

推し活から離れられたらそんな気持ちは消えるのだろうか。今の私は仕事のモチベーションも生きる目的も推し活に置いているのだから、まあすぐには難しいだろう。

 

またエンタメとは一体なんなのだろう。娯楽であるはずのもので、どうして私はこんなに傷つくのだろうとエンタメの意義についても考えた。でも結論として、やはり推しは尊いのである。

 

この状態でも推しと推しに仲良くしてほしいと願い続けるのは、もちろん傲慢だと分かってる。人間関係は個人のものだし、仲良くして欲しい願望はこちらの勝手だ。願いは捨てられない、諦めが悪くて申し訳ない。

 

とっ散らかったが、この経験から自分でも自分の感情の複雑さに驚いた。ここまで怒りの感情を持っても、2番目の推しを嫌いになりきれないのだから。まあ怒ってるけれど、許せないけれど!

 

1番の推しに笑っていてほしい。心から楽しくいてほしい。その障害が無ければいいなと願っている。幸せでいて欲しいなと、遠くからだけど毎日祈ってる。その思いはずっと変わらないし、揺らいでいない。それが自分の中で救いだ。